ロイヤル・レイモンド・ライフ博士は
世界ではじめてがんのウィルスを顕微鏡で発見した医学博士です。

人類にとってこれほど革命的で革新的な研究・開発をなしえた人物がいるでしょうか?
医学界の歴史には出てこない、封殺された天才の壮絶な人生と研究を振り返ります。

 幼いころから多才で聡明だったライフは、医者になることを決意し「ジョンズ・ホプキンス大学」に進学します。次に細菌学に興味を持ったライフは、ハイデルブルグ大学で多くの菌類標本の写真の撮影に成功しました。多大な功績を称えられ1914年には寄生虫学の名誉博士号を授与されています。
しかし、ライフはすでに微生物の観察に際し当時の顕微鏡の性能の限界に不満を感じていました。
「真の目的であるがんやその他病気の原因である病原菌の正体をとらえよう」と研究していたライフは、随一の技術を有する光学レンズ会社・ツァイス社で働き、光学レンズについての知識を深めました。
紆余曲折を経て、1920年までに生きているウィルスを見ることができる世界初の顕微鏡を完成させます。1933年には6000倍もの倍率を誇る「ユニバーサル・マイクロスコープ」を完成させます。 ライフは新たな目的のために新しい技術が必要とされると全て自分で機械を発案し、設計していました。
数々の発明品の中には、ヘテロダイン・紫外線顕微鏡やミクロ解像管、極微装置などがあり、広範囲にわたる知識を有していたことが窺えます。極小の微生物を生きた状態で観察できるのは、診断と治療という目的のためには非常に重要なことでした。
ライフは全ての物質と同様に目には見えないレベルで、ウィルス自体も独自の振動数で振動していることに着目します。
微生物がその構造的な形を維持するのに、耐え切れなくなるまで照射レベルをさらに上げると、その形は歪み崩壊してしまうのです。
実質的にわずかな電気代しかかからないため、治療費も大変安いものでした。
副作用に苦しむこともなく、患者は速やかに治療されて無事に家族の元に戻れるのです。
抗がん剤を用いた化学療法や放射線療法、外科手術のように命を危険にさらす必要もありません。
がん細胞を殺す周波数を見つけたライフは、臨床を試みます。1934年カリフォルニア大学が特別研究チームをつくり、末期がんの患者をライフの元へ送りました。90日間生存できるかどうかが心配された患者たちでしたが、90日経過した時点で86.5パーセントの人が治っていました。残り13.5パーセントの人も次の4週間で治ってしまったのです。最終的に100パーセントの末期がん患者が生存することができたのです。
ライフは毒を飲ませて菌を殺すのではなく、その菌だけが死ぬ周波数を身体に通す治療を行いました。そして、全ての患者を治すことに成功しました。
彼はがんはウィルスが原因であり、特定の周波数で殺せることを発見しました。
(がんとは細胞の異常です。通常の細胞はアポトーシスといい一定数分裂すると死にます。通常の細胞は一定の条件で増殖をやめます。がん細胞は死なないで増殖し続けます。だから悪性腫瘍として知られるがんは大きさを増すのです。
がんという異常な細胞を作り出す理由はウィルスだけではなく、活性酸素やDNAのコピーエラーなどさまざまな原因が現在では知られています。)
これは我々人類にとって素晴らしい発見でありました。
しかし事態は暗転してしまいます。悲劇は、まずライフ博士を買収することから始まりました。
1934年に米国医師会の株式をすべて所有していたモーリス・フィッシュベイン氏がライフ博士の治療法の独占権を渡すよう要求しました。
当然ライフはそれを断ったのです。
ライフの研究所からフィルムや写真や研究書類の多くが盗まれました。
しかし、容疑者が逮捕されることはありませんでした。
そして、ライフの研究を立証するため何億円もかけて設立されたニュージャージー州のバーネット研究所が放火されたのです。
これにより、ライフも窮地に立たされました。
コンピューターがなかった時代にこれらのデータを復元することは大変なことだからです。
さらに、ライフの貴重な顕微鏡は何者かによって破壊され、5682 もの部品が盗まれました。
最後にとどめを刺したのは、警察による令状なしの捜索と違法な研究成果の押収です。
これはまったくの違法行為です。
さらにライフの治療機械をつくった医療機器メーカーは、どこも訴訟を起こされてしまいます。
ライフの研究を支持する勤務医や研究所の技術者は、みんなクビに追い込まれます。
そして、逆にライフの研究を無視する医者や研究者には多額の金が回るようになりました。
この背景には、病気をめぐる大きな利権があります。

医学界・製薬会社が一番恐れているのは、この痛みも費用もかからずに「末期がんを100 %完治させてしまうライフの治療法の存在」が明るみに出てしまうことでした。
事実、 医学界におけるがん治療で重要とされているのは患者ががんで亡くなる前に薬の作用で殺して、それでがんに勝ったことにしてしまうことなのです。
1971年、ライフは83歳の時にバリウム(精神安定剤)とアルコールの過剰摂取により、この世を去りました。
自身の発明した治療器の電子を浴び続けていたため、アルコールと薬物の乱用にもかかわらず、長生きできたといわれています。

病気治療のために人生を捧げ、素晴らしい功績を上げたにもかかわらず、彼が受けた非道極まりない報いはどれだけ無念だったことでしょうか。
ライフの心中を察するには余りあります。

偉大なるライフ博士に想いを馳せずにはいられません。

 ライフが生きていた1905年、がんで死んだアメリカ人は20人に1人でした。
今は3人に1人とも言われています。技術の進歩とは裏腹に確実に増え続けています。